2012年01月29日

【テレサ・テン物語 私の家は山の向こう】放映

ご覧になりましたか? 今日(2007.6.2)のテレビ朝日の放映を。

気になる点はたくさんありましたが、私たち日本人が知らないテレサ・テン、「アジアの歌姫」としての苦悩がよく描かれていたと思います。なぜ、彼女が反戦・民主化のシンボルとなったのか、彼女に暗殺のうわさがなぜ立ったのかなど、アジアの戦後の歴史に呑みこまれていくテレサを少しは日本人が知るきっかけとなったと思います。

『テレサ・テン物語 私の家は山の向こう』のあらすじは次の通りです。ご覧になった方ももう一度、あの感動をなぞっていただければ幸いです。

1995年5月8日、タイ・チェンマイのホテルでテレサ・テン(木村佳乃)は、突然この世を去りました。テレサの死は瞬く間に世界中に伝えられ、日本でも突然の死因について、エイズ、麻薬中毒死、スパイ謀殺説などがセンセーショナルに報じられました。

時は1973年春、香港。すでに台湾や香港でスターとして活躍していた20歳のテレサは、舟木稔(高嶋政伸)の誘いで日本デビューを果たします。頑固な父テン・シュウ(古谷一行)の反対を説得し、母のスーグエ(高橋惠子)との来日を許されます。その年、テレサは日本デビュー2曲目の『空港』を大ヒットさせ、レコード大賞新人賞を獲得します。

それから6年後、順調に活動していたテレサに偽造パスポート事件が持ち上がります。そしてテレサは母国・台湾に身柄返還されてしまいます。日本での歌手活動を断たれたテレサは、アメリカへ渡りました。

1984年から日本での活動を再開。パスポート事件で悔しい退場となった日本歌謡界で、満を持してテレサが歌った3部作があの「つぐない」「愛人」そして「時の流れに身をまかせ」でした。

この間、両親の祖国である中国本土で「何日君再来」が大ヒットとなりました。テレサは台湾国民党に利用され、北京に利用されます。そして、彼女は中国本土の政治事情の激変の中、香港から天安門の学生たちに民主化支援のメッセージを送ります。それが「私の家は山の向こう」でした。それでも、天安門事件は起こってしまいます。

祖国に絶望したテレサ・テンは歌手活動から遠ざかり、その後、フランス人のカメラマンの卵との恋に落ち、フランスに居を構えたりします。テレサは自暴自棄に陥ったのでしょうか? それとも、誰かそばにいないとその寂しさを乗り越えられなかったのでしょうか?

それにしても全出演者のセリフを日本語で通してしまったのは興ざめでした。テレビではここまでなのでしょうね。劇中にテレサの北京語の歌が流れるたびに、ビクッとするほど感動的なのに残念でした。
posted by マザーグース at 11:25| Comment(0) | TrackBack(218) | テレサ・テン

あまり知られていないアジアにおけるテレサ・テンの活動

1995年5月8日、タイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため急逝した、というのがテレサ・テンの公式に伝えられる最期です。42歳という若さでした。昨日、死亡が報道された坂井泉水は40歳でしたね。彼女も事故死の報道に対して自殺説が出てきました。

彼女も、と申し上げたのは、テレサ・テンも自殺説、中国の秘密機関による暗殺説などさまざまな噂が流れたのです。

テレサの歌声、テレサの存在は、彼女の意思とは無関係に、台湾の国民党によって反共のプロパガンダとして利用されました。特殊な任務を帯びていたかどうかは別にして、テレサは広義のスパイであったといえるでしょう。

中国大陸でも70年代からテレサ・テンの歌は、テープとして流入していました。なぜか彼女の歌は抗日歌として人気があったそうです。これを台湾国民党が利用しました。大陸に隣接する金門島という島から、大音量で大陸へ向けて連日、流したのです。反共宣伝です。

このため、中国当局はテレサ・テンの歌を不健全とし、販売を禁止してしまいました。それでも、テレサの歌はこっそりと流通し(なんといってもコピー大国、中国ですから)、多くの人々が彼女の歌を好んで聴いていたようです。

1989年に発生した天安門事件では、テレサは香港で行われた抗議集会に参加し、民衆の前で歌を披露し、自ら中国大陸の民主化実現を訴えました。この後、当時活動の拠点であった香港を後にし、フランスへ移り住みます。

このかたりから、テレサはおおっぴらに台湾独立をほのめかすようになった、といいます。これは彼女を宣伝塔として最大限利用してきた台湾・国民党にとっても、まずい展開といわざるをえません。
posted by マザーグース at 11:25| Comment(1) | TrackBack(0) | テレサ・テン

テレサ・テンのプロフィール

テレサ・テンは1953年1月29日に台湾雲林県で出生。両親はともに中国の出身です。兄が三人、弟一人。身長165センチと女性としては大柄だったのですね。O型の水瓶座。

本名は?ケ麗筠(デン・リーユン)、中国語芸名が?ケ麗君(デン・リーチュン(Deng Li Jun))、英語圏および日本での芸名がテレサ・テン。

14歳の時に母国台湾でデビューし、その後、東南アジア、香港と活動の場を広げ、70年代から80年代前半を中心にポップ・シンガーとして活躍しました。

日本でのデビューは74年で、最初はアイドル系で売り出しましたが、2枚目の「空港」で新人賞を受賞、日本では演歌路線を歩みました。

79年、偽造パスポート事件のため、一時日本での活動を停止しアメリカへ渡りました。これは当時の政治状況が台湾をベースとする国際歌手にとって極めて窮屈なもので、相手国によって彼女はふたつのパスポートを使い分けていたようです。

この間、両親の祖国である中国本土で「何日君再来」が大ヒットとなりました。「何日君再来(Hérì jūn zàilái:ホーリィチュンツァイライ)」は、1937年に上海で製作された映画『三星伴月』の挿入歌。当時の人気歌手周璇が歌い、空前のヒットとなったものです。また1939年に香港で製作された映画『孤島天堂』の挿入歌にもなり、黎莉莉が歌いヒットしています。なお、日本語での曲名は『いつの日君帰る』。

この後、テレサ・テンはアメリカ、カナダ、香港、台湾、東南アジアなどでコンサート活動を行ない世界全華僑のシンボル的存在となりました。

84年から日本での活動を再開。パスポート事件で悔しい退場となった日本歌謡界で、満を持してテレサが歌った3部作があの「つぐない」「愛人」そして「時の流れに身をまかせ」でした。

89年の天安門事件以降は歌手活動から遠ざかりパリに移住しましたが、95年5月8日休養先のチェンマイで急死。気管支喘息による発作とされましたが、反戦運動をしていたことから暗殺されたとのうわさもあとを断ちません。

そのやさしい人柄と甘く美しい歌声は、今なお世界中で愛され続けています。
posted by マザーグース at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | テレサ・テン

テレサ・テンという歌姫の記憶

Teresa.jpg

テレサ・テン(中華圏での芸名は?ケ麗君)は、1960年代から1990年代を駆け抜けた「アジアの歌姫」です。台湾人歌手ですが、日本や中国をはじめ、東アジアの中華圏で今なお絶大な人気を誇っています。

今年は彼女の没年(1995年)から数えて13回忌にあたります。6月2日にはスペシャルドラマ『テレサ・テン物語 私の家は山の向こう』が、テレビ朝日系列で放映されます。しかも、世界30カ国と1地域での同日放送です。これは日本のテレビ業界としては、初の偉業!

テレサの生まれ故郷の台湾をはじめ、香港、シンガポールなどテレサが活躍した東南アジア各国、オーストラリア、ヨーロッパ全域と中近東の一部、さらにアメリカ、カナダでの放映です。日本での放送は、6月2日(土)よる9時。お見逃しなく!

なぜ、テレサ・テンはかくも深く大きな記憶をみんなに残したのでしょうか? 彼女の軌跡を追いかけてみたいと思います。


テレサ・テンは彼女自身が尊敬するマザー・テレサに因んでつけたものと言われてきましたが、実際は彼女の洗礼名を転用したのだそうです。テンは本名の姓『?ケ』の中国語音を英語表記し、ローマ字読みしたものです。中国語芸名はテン リーチュンと発音します。

1995年5月8日、タイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため死去しました。42歳の若さでした。同月28日に台湾・台北で国葬級の葬儀が執り行われ、世界各国から3万人ものファンが詰めかけました。彼女の棺は台湾・中華民国の国旗と国民党党旗で覆われ、台湾では国民的英雄だったのです。

テレサ・テンの死については謎が多く、「反戦運動をしていたことから暗殺された」などの説もあります。そしてこの日からテレサは伝説となって多くの人の記憶の中で行き続けることとなったのです。
posted by マザーグース at 11:25| Comment(4) | TrackBack(1) | テレサ・テン